logo

ホームページ制作の役立つ情報<

 Nさんが進行がんと診断されたのは九七年一月。
病名は、「軟部肉腫」。
治りにくいがんの一種で、こぶのようなふくらみが足の筋肉などにできる。
専門医以外には発見が難しく、早期治療が遅れると肺への転移を起こしやすい。
 かなり珍しい病気で、膝の痛みを三年近くも訴えたNさんに対し、何人かの医者ぱ診断を誤った。
そして、地元のG大学病院で本当の病名がわかったときぱもう手遅れに近かった。
ちょうどNさんが三十七歳の誕生日を迎えたころである。
早く治さなければいけないと思い、Nさんは大学病院で手術を受けた。
 初回のがん手術で右大腿部切断、身体障害者となったNさんは義足歩行訓練に励み、一度は職場復帰した。
だが手術後一年間続けた抗がん剤治療も効果なく、翌九八年夏、がんが肺に転移した。
CT画像上、あずき大のがん病巣が両肺に三十ヵ所ほど。
おそらく、再発がんのNさんの病状は治る一線を越えていたと思われるが、それを承知でくもしも、再手術がうまくいけば治るかもしれない〉と彼は思った。
まだ俺は病気になんか負けないぞ、現代医学をもう一度信じて頑張ってみよう。
大学病院の主治医は「ふつうぱやらないんですけどね」と言ったが、患者本人が二度目のがん手術を強く希望した。
 二度目の手術からわずか三ヵ月後の同年十一月、Nさんの期待は裏切られ、またも肺の表面に白い影があらわれた。
転移性肺がんの再発だった。
Nさんはもう手術も抗がん剤も信用する気になれない思いであった。
主治医も三度目の手術は勧めなかった。
そのころ、Nさんが主治医と交わした会話。
 「私のがんは治りますか? 正直なところを聞かせてください」  「統計上、手術によって生存時間が延びる可能性はありますが、完治ということは考えにくいと思います。
手術のほかに放射線と抗がん剤がありますが、Nさんの症状に放射線は全く効果がなく、抗がん剤も一時的に症状の進行が止まるかもしれませんが、それで治るということはありえません」 がん患者が死と向き合うとき一終末期医療を考える  Nさんは、自分の命の残り時間を知りたいと思った。
「では、ずばりあとどれくらい持ちますか?」  と聞いたら、主治医はこう教えた。
「何もしなければあと半年、一年は無理でしょう」  実のところあきらめてくださいという、医者の言葉を、Nさんはどんな気持ちで聞いたか。
のちに、私宛てのメールでこう綴る。
 〈本当にいろいろ悩んだのですが、手術も抗がん剤も、自分で「治る」という見込みがあるから今まで耐えてきたのです。
望み薄な治療のために、またあんな苦しい思いをするのは嫌だ、体を鞭打つようなつらい思いをするよりも、何も自覚症状がないですから普通に出社して、みんなの顔を見ながら大好きな仕事をして、精神的に満足な日々を過ごしたい。
自分の命に関わることですが、具体的な治療は何もせずに過ごすという決心をしました〉  それからというもの、温泉療法やがん免疫療法のほか、アガリクスやサメの軟骨、プロポリスなどを、お金の続く範囲で試してみた。
そうしてNさんは半年間をふつうに暮らした。
九九年八月初旬、がん末期の症状が現れ、胸の痛みと呼吸苦が襲った。
このとき、Nさんが訪れ力先がペインクリュック小笠原医院(前述)だ。
 「私は、家族と一緒に過ごし、自宅のベッドのうえで死にたいんです」  死を覚悟したNさんの希望に対し、小笠原一夫医師は言った。
 「Nさん、大丈夫だよ。
苦しんで死ぬような死に方は絶対させないから」  同医院の患者記録によると、Nさんはちょうど百四十人目の在宅ホスピス患者であっ た。
最後のライフワーク  在宅ホスピスを開始した時点で、Nさんは「俺は最後まで慌てないぞ」と覚悟を決めていた。
が、当初の二週間ほどは無気力な時間が過ぎたという。
それはそうかもしれない。
孤独な死を受け入れるのに、三十九歳という彼の年齢は若過ぎたのだ。
 Nさんは思った。
自分はいつも人生をポジティブな発想で生きてきた、この思いだけは最後まで持ち続けたい。
そのためには、絶望的な状態でも何か意欲を持だないと体より心が先にダメになる。
そう気を取り直したNさんは、体温と血圧、服薬時間などの記録表をノートパソコンで自作した。
「仕事も趣味もコンピュータ」という彼には至極簡単なことだ。
次に、キーボードを叩いて闘病経過をまとめると、自分の心が少し前向きになれた気がした。
それでは次に、個人用ホームページを久しぶりに更新してみるか がん末期のNさんの頭に、「最後のライフワーク」構想が浮かんだのはこのときである。
 それは、身体障害やがん末期のつらい境遇で、同じ悩みを抱く人の心を励ますため、自分の闘病日誌のホームページを作りたい、ということだ。
 「僕は、自分のホームページを世の中に公開してあとあとまで残したい。
今、それを僕の遺言にしようかと考えているところです」  Nさんが、小笠原医師に語った言葉だ。
先の希望も何もなく、自分ひとりが急に遠いところへ旅立ってしまう。
孤独な思いのなか、彼の頭には最後のライフワークをなんとか実現させたいとの意欲がどんどん膨らみはじめたのだ。
 たった一人で、Nさんはその準備へと取りかかった。
だが、そこに予期せぬ事態が持ち上がり、彼の平穏は大きく揺さぶられる。
とある週刊誌から取材の話が飛びこんだのだ。
その張本人がほかならぬ私だった。
 Nさんと私のメールのやりとりは、出会ってから一週間で三十一通にのぼった。
最後のライフワークをこの人に託してみようか、という思いがNさんの頭をよぎったか。
ある日、Nさんより「協力」をもとめる文面のメールが私に届いた。
 その骨子は、新たなホームページを共同で開設したいということ。
その一年分の費用(インターネット会員登録料とホームページ初回開設料)は私(吉原)がスポンサー(取材協力謝礼分)として負担し、Nさんが管理運用すること。
 〈新しく開設するホームページでは、私の受けている在宅医療について気がついたことを現在進行形で掲載する予定です。
このホームページを見て、自分と同じような境遇の人と励ましあうことも可能だし、在宅医療で感じる諸々の疑問点など相談を受ければ、自分のできる範囲で情報交換をすることができると思うのです〉  やりましょう、と私は二つ返事で即答した。
その数日後、Nさんは別の「提案」を持ちかけてきた。
自分亡きあと、自分のホームページを私に引き継いでほしいというのだ。
私は返信メールを出した。
 〈Nさんがこうしたいと希望されることを存分におやりください〉  このようにして私たちのパソコン上の語らいが深まった。
Nさん流に表現すれば、〈メールのやり取りでお互いの人となりがだんだんとわかり、それに比例して信頼関係が生まれる〉という自然な流れがめったと思う。
つらい闘病経過を明るく語る  Nさんは、〈体調の良いときにホームページの作業を進めたいという私の事情があるもので〉と語り、九日目、『ある身障者からの主張』を開設した。
○在宅看護について
・在宅看護を選んだ理由
・在宅と病院の違い
・在宅看護のメリット デメリット
・在宅看護 lヵ月経過
・貧血状態
・在宅看護のお値段
・胸水を簡単に抜くように
・神経ブロックのカテーテル
・胸水を簡単に抜くように っづき
・胸水を抜く写真
・お風呂に入れてもらったよ
○日常感じていること
・身障者にいたるまで
・義足の構造
・抗がん剤投与の闘病生活
・社会復帰・身障者の特権
・本義足が出来だ
・義足の人が自転車に乗るコツ
・腫瘍が肺に転移した
・肺の手術の入院で感じたこと
・腫瘍が肺に再発
・バジルの生命力
・アノマロカリス


ホームページ制作がリニューアルしました。ホームページ制作は買いです!
こだわるならホームページ制作がオススメです!CMでおなじみのホームページ制作です。
お手軽な価格が魅力のホームページ制作です。あなたに合った条件でホームページ制作をサポートします。